玉置神社参拝
こんにちは。
今回は、成功する人が通う神社第70位、奈良県吉野郡にある「玉置神社」です。熊野本宮大社から約1時間20分、大峰山脈の南端、標高1,076.4mの玉置山の山頂付近に鎮座しています。駐車場は最初の鳥居近くの無料駐車場を利用します。
玉置神社は古代から吉野から熊野まで続く大峯奥駈道の行場の一つとされ、神仏混淆が進む中、熊野三山の奥の宮と呼ばれてきました。車でもなかなか険しくて急な山道があり、当時の人々はかなり大変だったことでしょう。江戸時代には聖護院門跡で高牟婁院が建立され繁栄しましたがその後修験の衰退や廃仏毀釈を経て現在に到っています。名前の由来は、御本殿から玉置山頂上方面へ進む途中にある、パワースポットとされる玉石社にあるようです。
本には、
・コメント:神々が降り立つ山の荘厳な神殿
・ご利益:厄除開運 心願成就
とあります。
早速、参拝に行きたいと思います。
まず、鳥居と社号標。
修験道の隆盛を誇った玉置神社らしい威厳のある姿です。
玉置神社案内図。
3万平方メートルとされる玉置神社の境内だけあり地図を見ただけでも相当な広さを感じます。玉石社まで行くとなるとかなりの時間を要しそうです。
私たちが看板を見ているとき、売店の方から「玉石社まで行くなら登山道から行った方がよい」とアドバイスを受け、玉置山頂経由で玉石社まで行くことにしました。
山頂経由参拝道の入り口。
この入り口で出会った方々がサンダルだったため、比較的緩やかな道のりなのかと一瞬安心しましたが、それも束の間。ここから熊野古道のような、なかなか険しい道がはじまります。
道中。
熊野古道中辺路のように周りを木々に囲まれた道で、アップダウンもあります。途中、木がなぎ倒されている場所もありました。
玉置山頂上。
入り口から約15分でたどり着きました。ここから玉置神社最強のパワースポットである玉石社に向かって下って行きます。しかし見晴らしの良い、素晴らしい景色です。
霊石三ツ石神祠。
御祭神は磐裂神、石折根神、軻遇突知神。
山頂経由参拝道をスタートしてから約30分、古代から聖地とされ、本殿より先に礼拝するべきとされる玉石社に着きました。御祭神は大己貴命で、山岳修行の祖、役行者が財宝を埋納し福徳を祈念したとあります。
奥に見える黒い石が、御神体の玉石です。
さらに山を下って本殿を目指します。
山を降りること約5分、鳥居をくぐると出雲大社教の社殿が見てきました。もうすぐ本殿です。
社務所近くにある池。
訪問した時は手水舎の水が渇水により止まっていましたが、そんな中で貴重な水です。近くには休憩所があり休むことができました。
社務所。
ここは国の重要文化財に指定されています。かつて高牟婁院の主殿および庫裏として建立されました。神社の建物として確かに珍しい、一見民家のようなたたずまいですが、このような山奥に江戸末期の建築物がほぼ丸々残っているのは素晴らしいの一言につきます。
そして御本殿。
玉置神社の創建は伝紀元37年で、旧社格は郷社。崇神天皇の王城防火鎮護と悪霊退散のために早玉神をお祀りしたことが起源とされています。古代より十津川郷一帯の鎮守として信仰されてきました。早朝に参拝すると雲海がかかって神秘的なお姿になる時があるという三社づくりの社殿は、畏怖を感じさせます。
御本殿横には若宮社と神武社が建ち、裏手には神代杉と夫婦杉がそびえている構図により、とても神聖な気持ちになります。
神代杉は高さ約20m・周囲8.3m。
夫婦杉と神代杉。
この二本の杉は、ちょうど御本殿の裏側に位置しており神代杉の寿齢は3,000年と言われています。また神社ではお馴染みの夫婦杉も迫力がありますね。
参道中にある白山社、枕状溶岩、山の神。
最後に御朱印。
国の重要文化財である社務所で御朱印をいただき、参拝は終了。御朱印代は300円でした。
また玉置神社は熊野三山奥の院ということで、護符をいただきました。
こちらも見事な護符です。かつて悪霊退散として創建されたという玉置神社らしいデザインですね。
これで、140社中15社の参拝が終了しました。玉置山に鎮座し、玉石社をはじめ古代より修験の行状として栄えてきた玉置神社を参拝し、成功するための強力な力をいただくことができました。
次回は、熊野三山の一社として、古代から篤い信仰を受けてきた和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある「熊野那智大社」と「飛龍神社」に向かいます。