二見興玉神社・月讀宮・倭姫宮・月夜見宮参拝
こんにちは。
今回は、三重県伊勢市二見町にある二見興玉神社を参拝したのち、伊勢神宮の別宮に向かいます。最初に訪問する二見興玉神社は、伊勢湾二見浦に鎮座しています。駐車場は、夫婦岩横丁近くの有料駐車場(500円)を利用します。
二見興玉神社は伊勢神宮参拝の際の、禊の場所として有名ですが、夫婦岩でも全国に名をとどろかせています。この夫婦岩はかつては男岩は立石、女岩は根尻岩と呼ばれていました。その後大正7年の台風によって折れてしまったため、現在は以前の眺めとは異なっています。しかしながらこの夫婦岩の間から日の出を眺めるために、全国から観光客が押し寄せる名所となっています。
早速、参拝に行きたいと思います。
まず、鳥居と社号標。
海沿いという気象条件をクリアするためなのか、立派な社号標です。
御祭神と御由緒。
手水舎。
珍しい光景ですが手水舎の中にカエルの置物が飾ってあります。二見興玉神社の御祭神である猿田彦大神がその由来ですが、猿田彦大神はかつて瓊瓊杵尊が天孫降臨する際、先導役を務めた神様。そして神使がカエルであることから、かつて人々が旅の無事を願い、神宮参拝時に奉納したといわれています。
天の岩屋神社。
天の岩戸は高千穂が有名ですが、二見興玉神社にも祀られています。
そして拝殿。
二見興玉神社の創建は天平年間で旧社格は村社。御祭神は猿田彦大神でしたが、明治時代に宇迦御魂大神を合祀しました。
そしてここにもカエルが祀られていますが、それ以外はあまり派手な装飾などは見られず、シンプルなたたずまいです。
夫婦岩。
大注連縄がかけられています。鳥居越しにみる光景は、雨でのなかでも神秘的です。この注連縄は年3回も交換しているということです。海上ということも影響しているのでしょうか。また、男岩の上部には鳥居が設置されているのが見えます。
最後に御朱印。
拝殿向かって右側にある授与所でいただき、参拝は終了。御朱印代は300円でした。
月讀宮は伊勢神宮外宮から4kmほど離れた場所にあります。駐車場は社号標近くの無料駐車場を利用します。
月讀宮の御祭神は月讀尊。伊奘諾命が黄泉の国から戻り阿波岐原で禊をした後に誕生した神様。姉は天照大神、弟は素戔嗚尊。姉が太陽を表すのに対して、月になぞらえてお讃えしたものといわれます。古代、月の満ち欠けを読むことは農業にとって重要であり信仰の対象になったと考えられます。
早速、参拝に行きたいと思います。
まず、鳥居と社号標。
他の皇大神宮別宮と同様、白の社号標にシンプルな木の鳥居です。
手水舎にいたカエル。
二見興玉神社参拝後とあって、とても縁起がいい光景です。
参拝順序。
ここでは、月讀宮、月讀荒御魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈彌宮の順に参拝します。
月讀宮。
月讀宮の創建は不詳ですが、すでに奈良時代には存在していたようです。ある時、月讀尊が天照大神の使いとして、食料の神様である保食神を訪問した際、保食神が口から食べ物を吐き出してもてなしをしたところ、月読尊が激怒して斬り殺してしまったという逸話がある神様。そのことが原因で天照大神と疎遠になったという。その後、保食神から五穀が誕生しました。太古より人間は太陽と月の関係を様々なものに見立て信仰してきましたが、この話もその一種なのかもしれません。そして月讀尊は、夜之食国を治める農業の神様として信仰されてきました。
月讀荒御魂宮。
伊佐奈岐宮と伊佐奈彌宮。
ほぼ、同じような作りに見えます。
末社である葭原神社。
ここには、佐佐津比古命、宇加之御魂御祖命、伊加利比売命が祀られています。
最後に御朱印。
宿衛屋でいただき、参拝は終了。御朱印代は300円でした。
次に向かうのは、倭姫宮。
倭姫宮は月讀宮から車で約5分、一際、目を引く神宮徴古館の対面にあります。駐車場は、社号標近くの無料駐車場を利用します。
道路沿いにある巨大な鳥居。
道路標識には神宮関連の建物が表記されています。この辺り一帯が神域であることが想像できます。
鳥居と社号標。
他の皇大神宮別宮と異なり、控えめな社号標です。
倭姫宮。
倭姫宮の創建は大正12年であり、新しいお宮です。御祭神の倭姫は垂仁天皇の皇女であり、伊勢神宮を始め滝原宮などの創建で活躍された神様。また、祭事や斎戒、祓などの作法、所管宮社の確定などを行ったことでも知られています。
境内にあったハート型の木の根っこ。
女性の神様ならでは、ですね。
伝統的な神明造を見てきたため、西洋風の建物がとても目新しく見えますが、この神宮徴古館には本殿で使われる千木や鰹木、祭事用具、出土品、美術品などが展示されています。
最後に御朱印。
他の皇大神宮別宮と同様、宿衛屋でいただき、参拝は終了。御朱印代は300円でした。
続いて月夜見宮に向かいます。
月夜見宮は伊勢神宮外宮から徒歩5分程度の場所にあります。駐車場は社号標近くの無料駐車場を利用します。
月夜見宮は豊受大神宮(伊勢神宮外宮)の別宮とされています。かつて延喜式神名帳では、月夜見神社とされていましたが、承元4年(1210年)に別宮となりました。
早速、参拝に行きたいと思います。
鳥居と社号標。
そして月夜見宮。
月夜見宮の創建は不詳。御祭神は月讀尊。神明造ですが、鰹木は5本です。
境内にある楠。
とても立派な大楠です。
月夜見宮の左後方にある楠の木とお稲荷様の像。
豊受大神は食料の神様。その別宮である月夜見宮に、同じく食料の神様である稲魂神を表すお稲荷様の像があるのは、なにか感覚的に理解できます。前には鳥居が設置されています。
豊受大神宮摂社の高河原神社。
この日は雨だったのですが、虫の抜け殻が傘に落ちていました。
最後に御朱印。
月夜見宮向かって右側にある宿衛屋で御朱印をいただき、参拝は終了。御朱印代は300円でした。
旅程上、別宮の参拝順序は異なりましたが、これで主な別宮は全て参拝できました。数々の神様を参拝し、伊勢神宮訪問に向けてエネルギーをいただきました。
瀧原宮・伊雑宮参拝
こんにちは。
今回は、三重県度会郡大紀町にある、皇大神宮別宮の「瀧原宮」と三重県志摩市磯部町上之郷にある「伊雑宮」です。まずは瀧原宮から参拝します。花の窟神社から車で約1時間、熊野街道沿いにある道の駅奥伊勢木つつ木館から徒歩10分程の場所に鎮座しています。駐車場は道の駅の駐車場を利用します。
瀧原宮は大変歴史のある神社であり、倭姫命が約2,000年前、宮川上流に二宇の宮殿を造立したのが起源とされています。24ヘクタールもあるという広大な敷地に樹齢数百年を超える杉の木を始め、近くには頓登川が流れ、自然豊かなお宮です。
早速、参拝に行きたいと思います。
奥伊勢木つつ木館そばにある大鳥居。
珍しい白色の鳥居です。
入り口にある、瀧原宮大祭運営委員会によるアニメ。
社号標前にして意外な感じですが、第11代垂仁天皇の皇女である倭姫と真奈胡神のエピソードが描かれ、瀧原宮の起源が解説されています。
鳥居と社号標。
大きな杉の木が点在する参道。
とても静かな参道です。 道中にはあるねじれの激しい巨木がありますが、相当、パワーが強いのでしょうか。
御手洗場への道。今日は、頓登川で禊をします。
しかし本当に美しい光景です。森の中に光が溢れ穏やかな気持ちにさせられます。清らかな川が流れるこの地に遷座を決めた理由がわかるようです。
遷宮用のスペースとともに、遠方に見えるのは御船倉。
この御船倉は、伊勢神宮をはじめ他の宮社には存在していないようで、式年遷宮の度に造営されているとのこと。
そして本殿。
お参りは順序があり、瀧原宮、瀧原竝宮、若宮神社、長由介神社の流れで参拝します。
瀧原宮の御祭神は、瀧原宮、瀧原竝宮共に天照坐皇大神御魂。天照大神の荒御魂を祀っているとも考えられているようです。社殿は伊勢神宮のような神明造で、鰹木は6本となっています。
若宮神社、長由介神社。
若宮神社は古くからの御由緒があり、天水分神の伝説が残るものの、御祭神は分かっていないようです。また長由介神社も同様に詳細は不明とのこと。両社ともにシンプルながら美しい神社です。
最後に御朱印。
参道にある宿衛屋本殿で御朱印をいただき、参拝は終了。御朱印代は300円でした。
自然、社殿ともに素晴らしい境内で、ずっと立ち止まってしまいたくなる、そんな雰囲気を持つ神社でした。
次に向かうのは伊雑宮。伊勢志摩市へ車で向かうこと約1時間、近鉄伊勢志摩線上之郷駅近くに鎮座しています。駐車場は近くの参拝者駐車場を利用します。
伊雑宮は瀧原宮と同様、皇大神宮別宮とされ、地元の人々から信仰を集めてきました。創立は伊佐波登美命が稲を奉納し、この地に造営したことが起源とされています。また、鎌倉時代には源頼朝が神馬を伊雑宮に送ったという記録があります。
早速、参拝に行きたいと思います。
まずは案内図(散策マップ)。
地図によると、境内には勾玉という池があるようです。
鳥居と社号標。
参道。
とても落ち着いた雰囲気のある参道です。
宿衛屋近くにある楠の木。
根元がまるで株のような特徴的な形をしています。
勾玉池。
参道途中にある井戸。
余談ですが、ポケモンではこの井戸付近がポケストップになっているようです(?)。何人かこのあたりをうろうろしている方を見ました。
そして伊雑宮。
伊雑宮の御祭神は天照坐皇大御神御魂で創立は約2,000年前、第11代垂仁天皇時代と言われています。伊雑宮はかつて神領を守るために伊雑御浦惣検校職が置かれましたが室町時代には退廃していったようです。江戸時代初頭には、地元の人々により仮殿遷宮が行われるという状況にもなりますが、その後も地域の方々を中心に活動が続けられ、明暦4年に朝廷から伊雑宮が内宮の別宮と定められました。別宮でありながら地域密着型の神社ですね。現在でも神饌が奉納されているようです。
最後に御朱印。
鳥居近くの宿衛屋で御朱印をいただき、参拝は終了。御朱印代は300円でした。
今回は由緒ある伊勢神宮別宮2社に参拝でき、人生大成功するパワーをいただきました。
次回は、伊勢神宮参拝時の禊として訪問される、三重県伊勢市にある二見興玉神社で参拝後、月讀宮、倭姫宮、月夜見宮に向かいます。
花の窟神社参拝
こんにちは。
今回は、成功する人が通う神社、健康・気力がもらえる神社部門第10位、三重県熊野市にある「花の窟神社」です。海沿いを走る国道311号線近くに鎮座しています。駐車場は、道の駅熊野・花の窟に駐車します。
花の窟神社は、日本最古の神社と言われており、古代から現代に至るまで、多くの人々が参拝に訪れてきました。伊弉冉尊の御陵とされており、社殿はなく、巨大な岩の御神体を信仰の対象としてきた神社です。
本には、
・コメント:日本最古の社殿なき神社
・ご利益:気力充実 家内安全
・ご祭神:伊弉冉尊(いざなみのみこと) 軻遇突智尊(かぐつちのみこと)
とあります。
早速、参拝に行きたいと思います。
まず、鳥居と社号標。
社号標には、「日本最古」の文字が刻まれています。写真では鳥居の背後に木々が茂っていますが、左側を少し歩くと海というシチュエーションは不思議な感じです。
御祭神。 神代の昔より、花を供えて祭るので花乃窟と言う、と書いてあります。シンプルながら、あらためて人は昔から花を供えてきたのだと感じる内容です。
参道。
両脇には、花の窟の幟が並べられています。
参籠殿を抜けると、門の先に巨大な岩が見えてきます。
花の窟神社の創建・社格ともに不詳。社殿はなく岩が御神体の神社で、伊弉冉尊の墓とされます。この岩の高さは45mにも及び、例大祭には170mにも及ぶ巨大な注連縄がかけられます。案内によると、日本書紀神代の巻一書に「いざなみのみこと、火の神を生むときに灼かれて神退去りましぬ、故、紀伊国の熊野の有馬村に葬り祭る。土俗、この神の魂を祭るには、花の時には亦花を持って祭る、、花の窟の名を初めて世に紹介したのは、平安中期の有名な僧基法師である」と記されています。また御幣の背後に巨大な窪みがあり、本には「岩穴に願うとマイナスだった気持ちが和らぎ、生きる力が湧いてくる」とあります。海辺に巨大な岩という構造は、神倉神社とも似ていますが、熊野の自然信仰のあらわれなのでしょうか。
そして反対側にある王子ノ窟。
ここには火の神様である軻遇突智尊が祀られています。黒の御幣の背後にもまた大きな岩があります。軻遇突智尊は伊弉諾尊に剣で切り裂かれてしまいますが、そこから日本創建に功績を残した武甕槌命や経津主神につながる石折神などの神々の誕生につながりました。御陵は近くの産田神社であるという説もあります。
御朱印を参籠殿にある受付所にお願いし、お網茶屋で一休み。
古代米を使ったおにぎりや、この地域で名物のめはり寿司をいただけます。
最後に御朱印。
参道奥、参籠殿で御朱印をいただき参拝は終了。御朱印代は300円でした。
これで、140社中16社の参拝が終了しました。今回もまた、巨大な岩のパワーで人生大成功する気がしてきました。
この後はいよいよ伊勢神宮方面へ移動します。まずは、皇大神宮別宮である三重県度会郡大紀町の「瀧原宮」、三重県志摩市の「伊雑宮」を参拝します。
熊野速玉大社・神倉神社参拝
こんにちは。
今回は、熊野三山の最後の一角、和歌山県新宮市にある、「熊野速玉大社」とその摂社である神倉神社です。
熊野那智大社から車で40約分の街中に鎮座しています。駐車場は境内手水舎裏手にある無料駐車場を利用します。
熊野速玉大社はかつて、熊野本宮大社から続く熊野川を船で下って参拝されていました。熊野三山のうち、熊野本宮大社は現在、熊野那智大社は過去、速玉大社は未来を救済するとされ蘇りの地として古くから崇敬を集めてきました。また、その熊野川は川の参詣道としてユネスコ世界遺産に認定されました。次回熊野を訪れた際は、川から参拝を試みたいと思います。
早速、参拝に行きたいと思います。
まず、鳥居と社号標。
両側には、それぞれ熊野大権現、熊野速玉大社とあります。社号標が両脇に立っているなかなか見られない光景です。下馬橋を渡ると、いよいよ境内に入っていきます。
手力男命は、天岩戸神社で像として飾られている、岩戸をこじ開けた神様ですね。なんだが意外な組み合わせです。
そして国の天然記念物である大きな梛の木。
闘鶏神社境内にもありましたが、梛の葉は、古くからお守りとして大切にされてきました。この熊野速玉大社のご神木である梛は、日本一の梛の大樹としてそびえ立っています。
熊野速玉大社曼荼羅。
向かって左側には神倉山のゴトビキ岩、お燈祭と思われる炎が描かれ、中央には日本第一の鳥居の下、御一行が入っていく様子が表されています。上部には熊野本宮大社が表現されており時間を忘れて見入ってしまう絵図です。
神門。
未来へ繋ぐ日本の祈りという垂れ幕があります。昭和47年、沖縄が本土に復帰した際に熊野速玉神社の梛の苗木が沖縄に植樹され、平成24年には世界の平和の祈りが捧げられました。その世界平和を願う心が垂れ幕を通じて伝わってきます。また左右の幟には、日本第一大霊験所と書かれています。神門をくぐって中に入ってみたいと思います。
まず、向かって右側にある上三殿と八社殿。
合計十二殿ある神社を参拝するだけでも大変ですが、それぞれ綺麗に保たれています。
そして各神社と境内右端にある熊野恵比寿神社と新宮神社。
世界遺産を表す巨大な石碑。
拝殿。
熊野速玉大社の創建は伝景行天皇58年、旧社格は官幣大社。ご祭神の熊野速玉大神は、熊野川の神格化に起源を持つという伝えもありますが、海を表すという説もあります。家都御子大神が山、熊野夫須美大神が滝の崇敬ということに対し、熊野速玉大神も同様に自然信仰を表していると言えるかもしれません。また、社殿はもともと神倉山の岩座に鎮座していたものを現在の地に建てて遷し祀られました。そのため、熊野速玉大社は新宮とも呼ばれ、とても綺麗な社殿となっています。
拝殿近くの彫り物。
見事なトラが彫刻されています。
駐車場の裏側には休憩どころがあります。
奥では、熊野曼荼羅について説明をしていただける場所があります。時間は20〜30分程度ですが、とてもわかりやすい解説で、スッと頭に入ってきます。無料で聴けるだけでもありがたい所ですが、帰り際、なんと昔の人々もお守りとして身につけた梛の葉をいただきました。大切にしたいと思います。
近くにある川原屋の説明。
扉には八咫烏のマークがありますね。
続いて神倉神社に向かいます。
神倉神社は、熊野速玉大社の摂社。速玉大社から車で約5分の神倉山に鎮座しています。駐車場は近くの無料駐車場を利用します。
神倉山は熊野大神が一番最初に降臨された霊地とされ、カエルの形をしたゴトビキ岩が神倉神社の御神体です。日本書紀において、神武天皇が熊野に到着した際、登られた天磐盾は神倉山のことであると伝えられています。また源頼朝が寄進したとされる急な階段が有名で、上まではなんと熊野那智大社を上回る538段!
早速、参拝したいと思います。
まず、社号標。朱色に塗られた橋を渡ると左側に鳥居が見えてきます。
御祭神。
御祭神の高倉下命は、建国の功臣、熊野三党の祖として知られ、漁業の守護神として御神徳が高いとあります。
天磐盾碑。
石段前の最初の鳥居。
この段階からすでに急階段が予想できる展開です。近くには木の杖が多数置かれており、その難所具合が伺えます。手前には賽銭箱がありますが、上まで行けない人でも、ここで祈願することでご利益が得られるといいます。
急な石段で構成されている道中。
ひたすら急階段を登っていきます。これは少しでも気を抜くと転げ落ちそうです。神倉神社のお燈祭では、この急な階段を火を持って駆け下りたそうで、驚異的としか言いようがありません。
途中にある火神社と頂上近くにある満山社。
火神社はちょうど急階段の中腹にあり、まるで踊り場のようです。
ようやく二の鳥居が見えてきました。あと少しです。
鳥居をくぐり、右から岩盤を回り込む形ような形で 進むと社殿が見えてきます。
下から見上げる社殿。
しかし、よくこの場所にこのような石垣と建物を建てられたものだと感心します。ゴトビキ岩にはしめ縄がかけられていますが、これもかなり大変な作業だったことでしょう。
ついに本殿に到着しました。
ゴトビキ岩と社殿のコントラストがとても印象的で、登った甲斐があったと思わせる風景です。ここに熊野の主神が降り立ったかと思うと、身が引き締まります。
反対側に見える街の風景も素晴らしいです。
最後に御朱印。
熊野速玉大社本殿左側にある授与所で御朱印をいただき、参拝は終了。御朱印代は熊野速玉大社、神倉神社ともに300円でした。
そして、やはりこちらでも。
熊野速玉大社の護符である、熊野牛王符をいただきました。これで熊野三山の全てと玉置宮の護符が揃いました。
今回は古代より人々の信仰を集め、ユネスコ世界遺産に登録された熊野三山の全てを訪問し、偉大なる熊野大神に感謝の念と祈りを捧げられたことにより、本当に大きな力をいただきました。
次回は、「成功する人が通う神社ベストランキング 」健康・気力がもらえる神社部門第10位、三重県熊野市にある「花の窟神社」に向かいます。
熊野那智大社・飛龍神社参拝
こんにちは。
今回は、熊野三山の一社として名高い、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある「那智大社」と「飛龍神社」です。
熊野本宮大社から車で約1時間、那智勝浦のインターを出て、途中、名物である那智黒の看板が多数見える中、那智山を15分ほど登っていくと到着します。駐車場は那智の滝第二パーキングを利用します。料金は500円です。
今回はまず、飛龍神社から参拝します。飛龍神社は熊野那智大社の別宮で、有名な那智の滝をご神体とする神社です。那智の滝は、高さ・水量共に日本一で、滝壺の深さはなんと10mもあります。
早速、参拝に行きたいと思います。
まず那智山案内図。
飛龍神社の先に那智大滝が記されています。また、那智の滝案内図には、マグマの壁を流れる日本一の滝とあります。落差133mの滝ができたのは、硬い岩壁のおかげだったのですね。
次に鳥居と社号標。大きな石に那智大瀧と刻まれ、非常に威厳を感じます。
飛龍神社御案内。
宇多上皇をはじめ百十余度の御幸をはじめ修験道の道場となったとあります。
石段を下っていくと下にある光ケ峰遥拝石があります。案内には、「光ケ峰は熊野の神様が降臨したと伝えられる御山で、那智山熊野信仰の原点となります。この石は光ケ峰に通じ、遥拝所として重要な場所となっている」と記載されています。石を撫でると原点お力をいただくことができるようなので、ご利益にあずかりたいと思います。
本当に身震いがするほど見応えのある滝です。鳥居の奥に巨大な滝が見えるという状況はなかなか見ることができない、とても貴重な景観です。
ここから拝観料300円を払うと滝をさらに近くで見ることができ、途中に延命長寿のお瀧水では、初穂料100円で神盃で水をいただくことができます。
降りる途中にある祈願所。絵馬や護摩木があり神仏習合の名残を感じます。
最後に御朱印。
滝の轟音が鳴り響く中で、御朱印をいただき、参拝は終了。御朱印代は300円でした。
続いて熊野那智大社に向かいます。
熊野那智大社は標高330mに位置し、467段にも及ぶ石段の上に鎮座しています。西国三十三番札所巡礼の第一番である青岸渡寺とともに熊野信仰の中心地として栄えた神社。
早速、参拝に行きたいと思います。
まず、この石段。先入観からか、下から見上げるだけで、先が長そうな印象を受けます。
商店を横目にひたすら登っていくと途中に清涼亭が見えます。さらに実方院跡があり、幸行の際、上皇や法皇の宿になったもの。この山の上において、遠目からでも風情が感じられます。
その先には最初の鳥居。
那智山熊野権現の幟が両脇に立ち、奥には熊野那智大社の建物が見えてきます。
御祭神。
熊野夫須美大神、御子速玉大神、家都御子大神とあります。それぞれ熊野三山の神様ですね。
そして第二の鳥居。
この石段を登りきると、いよいよ本殿です。しかし、ここに辿り着くまで長い階段でした。
本殿。
なんと、この日は修復工事中で、外観は工事用の足場とカバーに覆われていました。熊野那智大社の創建は伝仁徳天皇5年、旧社格は官幣中社。ご祭神は熊野夫須美大神であり、結とも表記され、農業や林業、水産業の守護神として、また結の通り縁結びの神様として古くから信仰を集めてきました。
各参拝所。
本殿は工事中ということでしたが順路に沿って本殿近くまで参拝することができました。鮮やかな朱色が青空に映えます。
本殿裏にある大楠では、胎内くぐりができます。
そして、その奥には熊野古道屈指の難所である大雲取越の入り口があります。
大雲取越を熊野那智大社側から進むと、アップダウンの激しい古道の終盤に胴切坂が待っています。下りながらもかなり体力を要する道を歩いていたわけですから、昔の人々の健脚を思い知らされます。
最後に御朱印。
石段を降りる前に、仮設の授与所で御朱印をいただき、参拝は終了。御朱印代は300円でした。
そしてやはりこちら。ここ熊野那智大社でも烏牛王神符をいただきました。
那智の滝の水ですった墨で書かれた護符には、シンボルである烏が描かれており、これまた大きなご利益をいただけそうです。
降りる道中にある、青岸渡寺から見えていた三重塔。
バランスが良く美しいたたずまいです。
那智の滝の遥拝所。
鎌倉積みの石段がそのまま残っているこの場所では、例祭を行なっているようです。
降りてきたところにある古道を歩くときの心得。
今回は滝に山にと、多くの自然に触れながら何段もの石段を上り下りしましたが、壮大な熊野山の中で、人生で成功するための大きな力をいただきました。
次回は、熊野三山のラスト、和歌山県新宮市にある「熊野速玉大社」と「神倉神社」に向かいます。
玉置神社参拝
こんにちは。
今回は、成功する人が通う神社第70位、奈良県吉野郡にある「玉置神社」です。熊野本宮大社から約1時間20分、大峰山脈の南端、標高1,076.4mの玉置山の山頂付近に鎮座しています。駐車場は最初の鳥居近くの無料駐車場を利用します。
玉置神社は古代から吉野から熊野まで続く大峯奥駈道の行場の一つとされ、神仏混淆が進む中、熊野三山の奥の宮と呼ばれてきました。車でもなかなか険しくて急な山道があり、当時の人々はかなり大変だったことでしょう。江戸時代には聖護院門跡で高牟婁院が建立され繁栄しましたがその後修験の衰退や廃仏毀釈を経て現在に到っています。名前の由来は、御本殿から玉置山頂上方面へ進む途中にある、パワースポットとされる玉石社にあるようです。
本には、
・コメント:神々が降り立つ山の荘厳な神殿
・ご利益:厄除開運 心願成就
とあります。
早速、参拝に行きたいと思います。
まず、鳥居と社号標。
修験道の隆盛を誇った玉置神社らしい威厳のある姿です。
玉置神社案内図。
3万平方メートルとされる玉置神社の境内だけあり地図を見ただけでも相当な広さを感じます。玉石社まで行くとなるとかなりの時間を要しそうです。
私たちが看板を見ているとき、売店の方から「玉石社まで行くなら登山道から行った方がよい」とアドバイスを受け、玉置山頂経由で玉石社まで行くことにしました。
山頂経由参拝道の入り口。
この入り口で出会った方々がサンダルだったため、比較的緩やかな道のりなのかと一瞬安心しましたが、それも束の間。ここから熊野古道のような、なかなか険しい道がはじまります。
道中。
熊野古道中辺路のように周りを木々に囲まれた道で、アップダウンもあります。途中、木がなぎ倒されている場所もありました。
玉置山頂上。
入り口から約15分でたどり着きました。ここから玉置神社最強のパワースポットである玉石社に向かって下って行きます。しかし見晴らしの良い、素晴らしい景色です。
霊石三ツ石神祠。
御祭神は磐裂神、石折根神、軻遇突知神。
山頂経由参拝道をスタートしてから約30分、古代から聖地とされ、本殿より先に礼拝するべきとされる玉石社に着きました。御祭神は大己貴命で、山岳修行の祖、役行者が財宝を埋納し福徳を祈念したとあります。
奥に見える黒い石が、御神体の玉石です。
さらに山を下って本殿を目指します。
山を降りること約5分、鳥居をくぐると出雲大社教の社殿が見てきました。もうすぐ本殿です。
社務所近くにある池。
訪問した時は手水舎の水が渇水により止まっていましたが、そんな中で貴重な水です。近くには休憩所があり休むことができました。
社務所。
ここは国の重要文化財に指定されています。かつて高牟婁院の主殿および庫裏として建立されました。神社の建物として確かに珍しい、一見民家のようなたたずまいですが、このような山奥に江戸末期の建築物がほぼ丸々残っているのは素晴らしいの一言につきます。
そして御本殿。
玉置神社の創建は伝紀元37年で、旧社格は郷社。崇神天皇の王城防火鎮護と悪霊退散のために早玉神をお祀りしたことが起源とされています。古代より十津川郷一帯の鎮守として信仰されてきました。早朝に参拝すると雲海がかかって神秘的なお姿になる時があるという三社づくりの社殿は、畏怖を感じさせます。
御本殿横には若宮社と神武社が建ち、裏手には神代杉と夫婦杉がそびえている構図により、とても神聖な気持ちになります。
神代杉は高さ約20m・周囲8.3m。
夫婦杉と神代杉。
この二本の杉は、ちょうど御本殿の裏側に位置しており神代杉の寿齢は3,000年と言われています。また神社ではお馴染みの夫婦杉も迫力がありますね。
参道中にある白山社、枕状溶岩、山の神。
最後に御朱印。
国の重要文化財である社務所で御朱印をいただき、参拝は終了。御朱印代は300円でした。
また玉置神社は熊野三山奥の院ということで、護符をいただきました。
こちらも見事な護符です。かつて悪霊退散として創建されたという玉置神社らしいデザインですね。
これで、140社中15社の参拝が終了しました。玉置山に鎮座し、玉石社をはじめ古代より修験の行状として栄えてきた玉置神社を参拝し、成功するための強力な力をいただくことができました。
次回は、熊野三山の一社として、古代から篤い信仰を受けてきた和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある「熊野那智大社」と「飛龍神社」に向かいます。
熊野本宮大社参拝②本殿
こんにちは。
前回はもともと熊野本宮大社が鎮座していた大斎原から産田社を訪問しました。いよいよ全国に約三千社ある熊野神社の総本社、熊野本宮大社を参拝します。
まず、社号標と大鳥居。
創建から二千五十年を表現するかのような立派な木造の鳥居です。また、社号標もしっかりとした作りです。
そして有名な参道。
通称願掛け参道と呼ばれる表参道は、熊野大権現の旗が両サイドに羅列され、杉の木に囲まれています。大幡の初穂料は一流につき五千円のようです。そして、前方に見える石段は158段。このような迫力のある参道は、他の神社にはなかなか見られない珍しい感じがします。
石段途中にある功霊社と祓戸大神。
祓戸大神で身を払ったのち、手水舎で清めてから参拝します。
そして手水舎の前にある案内図。本には全国3,000社とありましたが、ここではなんと4,784社もの熊野神社が記録されています。 全国最多は福島の437社。全国で熊熊野坐大神の分祀があるのはあつい信仰の証です。
かつての熊野本宮大社の図。
大斎原にもあった、かつて中洲にあった時代の熊野本宮大社と水害の話が掲載されています。
そして、階段を上がると拝殿や授与所、社務所が見えてきます。
まずは、拝殿。
ここでは、「励」と「気」という文字が書かれ、その両脇には八咫烏が印された旗があります。
そして近くには八咫ポストや力石、亀石、八咫烏が刻まれた丸石などが配置されています。
八咫烏はサッカー日本代表のシンボルマークとして有名ですね。ここ熊野本宮大社でも八咫烏をあしらったお守りや授与品などが豊富に用意されていました。
社務所前にある参拝の仕方と手順を記した看板。
はじめは第三殿で来世を司る家津御子大神、二番目に前世を司る第二殿の速玉大神、三番目は現世を司る第一殿の夫須美大神、そして第四殿の天照大神、最後は結びの神・祓の神という順番で参拝します。
古代より人々は熊野を参拝し、来世、前世、現世と巡り、熊野三山を巡ればご利益を得られると考え参拝したのでしょう。
御社殿前の神門。
熊野本宮大社の創建は伝崇神天皇代で、旧社格は官幣大社。明治22年のの熊野川の水害により社殿は破損してしまったものの現在の第一殿から第四殿までが再建され、現在に至ります。
御祭神の家都御子大神は、熊野の山や樹木に対する信仰の現れともいわれます。また、熊野那智大社、熊野速玉大社を含めた熊野神と烏の関係は強く、熊野神が降臨した際に一羽の烏が道案内をしたという故事があり、熊野三山各社でいただける護符には、三本足の烏が刻印されています。
社務所。
ここでも、「叶」の文字が掲げられていますね。成功の為にも、「口」にプラスの精神で行きたいと思います。
最後に御朱印。授与所では熊野本宮大社の他、大斎原、産田社、そして創建二千五十年を記念した特別な御朱印もあります。
授与所で御朱印をいただき、参拝は終了。御朱印代は熊野本宮大社、大斎原、産田社が300円、記念の御朱印は500円でした。
ちなみに、ここでは木製の御朱印帳が販売されていました。紀伊山地の杉で作った特別な御朱印帳とのこと。
また熊野と言えば「護符」、ということで熊野牛王神符もいただきました。
カマドの上にまつれば火難をまぬがれる 門口にまつれば盗難を防ぎ、懐中して飛行機、船に乗れば船酔い災難をまぬがれる 病人の床にしけば、病気平癒となる ありがたい護符です。
帰り道は、現在の参道脇にある旧道で降りてきました。
これで、140社中14社の参拝が終了しました。今回は太古から続き、天皇家や貴族をはじめ、様々な人々が救いやご利益を求めて参拝した熊野本宮大社に訪問でき、非常に力が湧いてきました。
次回は、「成功する人が通う神社ベストランキング」第70位、奈良県吉野郡にある「玉置神社」に向かいます。